雑誌広告の変遷 その4

花森安治は1949年から、彼は大日本麦酒の会社分割で発足した朝日麦酒広報部(現アサヒビール)の要請によって同社の広告クリエイターとして勤務し、アサヒビールのキャッチコピーからデザイン、レイアウトを一手に引き受け、「一番うまいアサヒビール」や「ビールといえば吾妻橋」などのキャッチコピーを次々に世に送り出し世間から瞠目されました。

そして1972年には著書『一銭五厘の旗』で第23回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞し、また同年『暮しの手帖』の活動によりラモン・マグサイサイ賞を受賞しています。

然し、彼は絶好調の中を1978年、突然心筋梗塞により逝去されました。花森追悼号となった『暮しの手帖』第2世紀53号の表紙画には、花森が描いた予備の絵が使われたのでした。

花森安治は、男の癖に何故かズボンを履かず何処へ出掛けるときも家に居るときもスカートを履いていたので誰からも奇異の目で見られ、男色ではないか?と可成り変人扱いされました。(゜o゜;。

彼は有名人でありましたから年輩の方はきっとご記憶されて居ることと思いますが、当人はスカートの方が生活に快適だと一向に気にしないメチャ変わった自由人だったのです(゜o゜;/。

次回へ続く…

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