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優性保護法その三の二

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1948年制定の優生保護法は、国民の資質向上を目的とした1940年の国民優生法を踏襲したものです。 ところが、終戦後に戦地から多くの日本兵が帰国し、夫の帰国を待ち望んで居た貞節な妻たちに依って昭和22年から我が国はベビーラッシュは起きてしまいました。 大量の年間出産数に驚愕した政府は、食糧問題等の不安を危惧し、産児制限を始めました。 そして、許されざる行為は彼等が法律を歪曲してまで各県に命じて、多くの16歳の障害を有する少女等に対し承諾も取らずに卵管を結んでしまうと謂う避妊手術を施したことです。 役人等は、現在の医学で治癒が可能だと判断される 躁うつ病 まで"不治の病"だと非科学的に決め付け、本人には何の説明も承諾を取らずに麻酔を掛けては卵管を括る荒療治の手術をして妊娠不可能にしていました。 1996年の法改正により優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除され、法律名も「母体保護法」に改められましたが、中身は少しも変わぬ残忍なものでありました。 そして此の邪悪な法律に対し2024年7月3日最高裁判所大法廷が、本法の各優生条項が最初から憲法に違反していたとする判決を言い渡しました。 此れは将に画期的な判決であってこれぞ国民全てが待ち望んだものでありました!。 昨年の中頃でしたか私は本稿にて、昭和23年頃には年間230万人もあった子供の出生数が今では70万人を切るまでになって居ることについて触れました。 優生保護法と謂う悍ましい法律が昭和23年に施行され平成8年に至るまで48年間も我が国の障害者女子を支配して居たと謂うことは、極めて恥ずべきことでありました。 この法律は、究極成立した瞬間から既に憲法違反であったとの最高裁判決が下されたのは当然でした🤬/。 久しぶりに…今週の読めそうで読めない字   「悍ましい」悪法

優性保護法その三の一

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皆様、新年明けましてお目出度う御座いますm(_ _)m。 小職本年馬齢92歳を数えるに至りましたが、身体を動かせることだし今暫し老骨に鞭打って職務に奮励したいと思いますので本年も拙文共々宜しくお願い致しますm(_ _)m。 優生保護法という悪法 昭和23年から平成8年まで存在した優生保護法という悪法に依って、無辜の少女達を各地で大量に断種手術したことは、裁判を通して2024年7月の歴史的な判決文が下って、遂に断罪されました。 当時は幼い16歳にて無理やり断種させられた無辜の少女が独り老年を迎えて裁判の当時者となって唯独り27年間政府と戦い遂に昨年度最高裁にて勝訴致しました。 彼女が述懐する27年間並びに施術後70年間の苦しみと絶望感を投影したTV放送を皆様はご覧になりましたか? 当時の岸田総理が独りの老女に頭を下げ、老女の手を取って詫びられた光景をご覧になりましたか? 彼女は唯独り政府を訴えて稀代の悪法である優生保護法が実は憲法違反の法律であることを国民に認識させたのでありました。 戦前に他の目的に依って設けられたこの悪法は2024年7月3日「国民は全て平等であるべきであるを欺き、成立した瞬間から憲法違反であった」と最高裁判決が断じたことで長い長い事件の幕を閉じたのでありました🤬/。 思えば"優生思想・優生政策上の見地により子孫の出生を防止する"という驕った目的と"母体保護という都合の良い言葉"を設定し、本人の許可も得ずに行う強制不妊手術と名付け人工妊娠中絶の合法化、受胎調節、"優生結婚相談"などを定めた、全くの違憲内容のものでありました。 "国民の資質向上を目的とした1940年の国民優生法を踏襲した"ものとか…、当時は自分達に都合の良い勝手な法解釈がなされたのでした。 実は大戦終了後、続々と復員する日本兵の帰還を喜ぶ家族の声と共に次々生まれてくる子供達そして、ますます過酷となる食糧事情に危機感を有した役人共が弄した疎かな策が人口を減らすための愚略でした。 「不良な子孫の出生を防止する」という誤った目的と、"母体保護という美名"を設けて、本人の許可も得ずに行う強制不妊手術、人口妊娠中絶の合法化、...