雑誌広告の変遷 その5(完)
戦後間もない昭和昭和23年9月に季刊『美しい暮しの手帖』として(第1世紀)第1号が創刊されました^^。
昭和28年12月の第22号から雑誌名を現在の『暮しの手帖』と改題され現在も発売され多くの女性の生活の指針を与えて居ます。
他の新聞や雑誌は諸経費の全てを新聞に掲載する広告に頼って居ますが、此の雑誌には「広告を載せると広告主に阿り、挙げ句は読者を欺く記事を載せることになるだろうから…」、と当初から一貫してどの紙面にも商業広告を排除して読者のために日常生活の節約と向上を願った記事に徹しましたから、会社は少しも儲からなかったけれど戦後の家庭の主婦から大いに支持されたのでした。
謂わばお金儲けのための雑誌ではなく貧しい家庭の主婦達女性が少ないお金を遣り繰りして生活できる知恵を誌面に繰り広げて家庭の子女の手助けが花森安治の心情であったと思います。
お金には目をくれず庶民の生活の味方に徹した彼は素晴らしい編集者でしたね(゜o゜;/。
此のように何時しか誰もが耳で聞き目で読まれるようになった「暮しの手帖」でありましたが、学問の世界では混乱を生じ、6年生で覚える「暮」は「暮らし」と送リますから、花森安治の雑誌の名代は「暮らし」であっても何故か送り仮名が「暮し」と「ら」が省かれて居ます。
漢字辞典を繰ると明らかに「暮らし」と送られて居ますから此の表紙の「暮し」は誤りであることが分かりますが花森安治は自己の信念に基づいて「暮し…」に拘ったのは彼の哲学であり個性であったと思いましたが、或いは表紙が冗長になるのを避けてのことだったかも知れませんね。
然しお母さんの傍らに置かれた此の雑誌を横目で見ていた多くの小学生や中学生が「暮らし」の正しい熟語を誤ったことは想像に難くありません。
此の字を「暮し」と書き誤って有名中学校の受験に失敗した生徒が居なかったことを私は祈るばかりですm(__)m。
彼にしてみれば表紙の文字は文字ではなく符丁に過ぎなかったのではないでしょうか?

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