いつかはクラウン、セドリック
漸くGW酣(たけなわ)となって居ますが皆様お元気でしょうか? 遥か昔の昭和30年代私が未だ20歳であった70年も前のことです。 当時は昭和25年に勃発した朝鮮事変を奇貨として我が国が米軍の戦略基地に選ばれたお陰で、俄に軍需景気が勃発しました。 我が国の経済がアレヨアレヨと言う間に凄まじく発展し成長する恩恵を被ることとなって我が国は願っても見ない戦後初の経済勃興期となりました。 経済発展の結果として、それまで高嶺の花であった乗用車を自ら所有する人達が急速に増加し、トヨタのクラウンにコロナや日産のセドりックにブルーバードが候補に選ばれました。 クラウンやセドリックは高級車で庶民の手には届き難く、我々の見果てぬ夢であり憧れでありました。 それ故、クラウンやセドリックを所有することが多くの人達の夢であって、「何時かはクラウン」の願望が彼等の胸に深く刻まれて居ました。 その後20数年の経済成長を経て中年を迎えて目出度くクラウンに乗り換え人生の達成感を実感された方がとても多かったと思いました^^。 クラウンに乗ることのステータスがある意味で戦後の日本経済を立て直す原動力となったのではないだろうかと私は考えるに至りましたが、それ位深く庶民の胸にクラウンへの願望が刻み込まれて居たのでありました。 当時のクラウンやセドリックは今と違って乗車人員の多さが競われ6人乗りで前席3人掛けとされたためオートマチック車のない時代でした。 変速ギアをハンドルの左側に備えて、クラッチを踏んだ状態で、ハンドルの左にある変速機のバーを手で前後に操ることでミッション操作をする方式でした。 結構煩わしくて、押す力が足りぬとトップに入らずセコンドに入ったりします。 慣れるまで苦労が続く車でありました(::)。 次週に続く…