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11月, 2025の投稿を表示しています

90歳になって思うこと…

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今月10日に私は人生の終着駅と決めた卆寿の90歳に目出度く到達することができました。 加齢のせいで近年視力の低下など仕事が少し宛渋滞するようになってもどかしく、子供達二人と事務所の者に迷惑を掛けるようになっているので考えた挙げ句本年末を以て打一線から潔く身を引こうと思うに至りました(::)/。 私が此の仕事に携わって65年にもなり、思い出すことは多々ありますが、思い残すことは余りありません。 思えば税理士となった20歳代の後半に始めた趣味のゴルフはとても楽しいものでしたが、私がゴルフに行った日に限って予告なくお得意先に税務調査が入り、私はゴルフを中断してお得意先に直行することが重なり、「ああ此れは私に「ゴルフを止めろ!と神様の啓示なんだ!」と悟り、2年半でゴルフを止めました。 ゴルフの会員権も処分しました。 その後四半世紀のバブル時には40倍以上も値上がりしたことを未だに未練がましく覚えて居ます。 当時は高度成長期の真唯中であり、現在と違って税務調査は予告なく2ー3年に一回署員が突然会社を訪れ、金庫の中を引っ掻き回して現金監査と隠し定期などを摘発する半ば違法なものが常態化されて居ました。 あるときなどお得意先の経理担当女子職員の引出しの中を開けるように促され彼女は必死に抵抗しましたが、余計に怪しまれて無理遣り開けられたら彼女が命より大切にしていた恋人からのラブレターが出てきて女子職員は大泣きし、税務署員は勘違いに気付き平謝りした上で調査は打ち切られ、目出度し目出度し…のことなどありましたよ^0^/。 今は遠い昔、60年以上も昔のホロ苦い思い出です。 何時だったか小生開業の50周年を近畿税理士会から祝って頂くことになりましたが、何故か壇上での贈呈式や支部の先生方の祝福の拍手すらないものでした🤬/。 それは研修会が行われた板宿にある須磨区役所での会場の通路にてさり気なく大きく重たい毛布を1枚当時の支部長から手渡されましたが、内心期待していた壇上にて会員からの祝福された贈呈式などではなく🤬/、唯持ち帰る際通勤帰りの電車内で嵩高く往生したことを今も忘れず支部長の余りの非礼に激しい憤りを覚えて居ます。 段上での表彰は兎も角、区役所通路での手渡しは無かろうが…🤬/と憤激したものです。 相手は支部長とあっては文句も言...

32年間培ったド根性!第45回クイーンズ駅伝エディオン初優勝

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日一日と夕暮れが早くなり、師走の風がその辺りまでやってきたように感ずる今日この頃です。 今週日曜日の午後何の気なしにテレビを付けたら晩秋恒例の第45回日本実業団対抗クイーンズ駅伝が仙台で始まっていました。 まず、あまり知らない会社の エディオン が1区で区間賞を取り、3区までトップを走って居りました。 しかし、過去10年間に10回出場して昨年は四年ぶり4回目の優勝を果たした日本郵政が1区こそ大きく出遅れましたが、3区で区間新記録を出し3位に上がり、4区でもケニアの超特急カリバが区間新を叩き出して、40秒差でいったんトップに抜け出しました。 此れで勝負あった、と思ったらナント!ナント!エディオンは、続く5区で首位を再び奪い、7秒差を付けました。 その儘最終6区も粘って2位日本郵政との差は変わらず、アレヨアレヨという間に初優勝を遂げました。 エディオンは今まで優勝したことがなかったため目標を3位に置いていましたが、アンカーが先頭でウイニングテープを切ると「アスリートパーク仙台」の会場全体は観客の歓声に包まれて、選手全員が思わず戸惑っています。 TVクルーにも追い掛け廻され、身の置き処を失って目が泳がせ狼狽えて居るさまは新鮮で初々しく好感度抜群でありました^0^/。 ネットを探ってみれば、エディオンとは、広島テオデオと名古屋エイデンが2002年に合併して出来た、電化製品のチェーン店でした。 かつて「よりどり、ミドリ」のキャッチフレーズで ミドリ電化 が尼崎の塚口本店からやがては名谷、姫路、さらに大阪から近畿地方全体に店舗を次々と増やしていましたが、これも2005年に株式交換で急成長するエディオンの子会社になりました。 その関係で登記上の本店は広島ですが、事実上の本店は大阪にあります。 2007年には「石丸 石丸、電気のことなら石丸電気、石丸電気は秋葉原、でっかいわ~」というCMで有名な石丸電気も子会社化していました。 これまでエディオン女子陸上部は、優勝できなくとも32回も懲りずにクイーンズ駅伝を走り、三年前に4位でシード入り、二年前は10位でシードから落ちて、昨年は予選から勝ち上がり5位でシード権を再び取り戻しました 今年は外人を入れない純血主義を護り、2位でタスキを貰った5区のエース細田選手(日体大卒)が区間賞の激...

林真理子か上沼恵美子か?

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11月も愈々最終週を迎え、年の瀬が迫って参りました。 今日は週刊誌の話題です。 愛読紙だった日本棋院出版の「週刊碁」が残念ながら2023年9月に休刊しました。 実は、同年5月に硬派の総合週刊誌「週刊朝日」が休刊していました。朝日新聞の子会社から出版されていた「ウィークリーAERA」がヴィジュアル的にもインターネット展開的にも勝っていたため、週刊朝日は同誌に事実上吸収されました。 これに対して、競合していた毎日新聞系の「サンデー毎日」は、かつて長谷川町子の漫画「いじわる婆さん」を連載して愛読していましたが、いまや様変わりしてしまい、表紙を若者向けにしながら中身は左翼誌として細々と続けています。週刊誌の「SPA!」(産経新聞系の扶桑社刊)に至っては、恥も外聞も無い内容で何とか生き残っています。「週刊読売」は既に2008年に廃刊されました。 出版社系で言うと、講談社の「週刊現代」が2025年3月から隔週刊になりました。 かつては講談社グループから週刊宝石(光文社刊;2001年休刊)と二誌体制で発行してたのに、もうグループ全体が危機を迎えています。 同じく大出版社の小学館が発行する「週刊ポスト」もジリ貧です。 いまや新潮社の「週刊新潮」と文藝春秋社の「週刊文春」が週刊誌の二強となり、現在では両者が激しい特ダネ合戦や暴露探しに鍔迫り合いを続けています。と言うよりも、生き残りを賭けていると言っていいでしょう。 私は売店で先に売れ切れる週刊文春の方が生き残るかなと考えましたが、実際の発行部数でも週刊文春が39万部で週刊新潮が19万部となり、ダブルスコアがついているそうです。 週刊文春独走の主な原因は、もちろん文春砲です。 しかし、文春砲も毎週続けて面白いわけではありません。 毎週同じ週刊誌を買おうという動機は、連載記事にあると私は考えます。 週刊文集のそれは、連載エッセイの 林真理子 の「夜ふけの縄跳び」と 上沼恵美子 の「白黒付けましょ」なのです。 週刊新潮には匹敵する面白い読み物がありませんね。 かつて週刊文春で人生相談を担当され好評を博していた 伊集院静 が2年前に急逝されました。 それを引き継いだのが 上沼恵美子 です。 姉との漫才コンビで殆ど登校しないまま中卒であった上沼恵美子は、立教大卒の...

人間魚雷

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暖かい日と寒い日が交錯し乍ら軈て次第に寒い日が増加して、少し宛冬の雰囲気が漂って来る今日此の頃です。 先週第二次世界大戦中に熊本県の特攻隊予備軍に在籍して終戦を迎えた青年達が終戦後もGHQの不法にして陰湿な裏報復を受け不幸な人生を強いらねばならなかった衝撃的な事実をお伝えしました. 今日は、戦時中舞鶴市に住んで居られた女性が山口県周南市にあり瀬戸内海に浮かぶ「大津島」と呼ばれる南北10キロの小島に於いて戦争末期に開発された「回天」と呼ばれる全長10メートルの「人間魚雷」に乗り込んだ二十歳の若者達が生還する希望のない出撃をさせられた事実を毎日新聞への投書にて明らかにされました🤬/。 此の女性は、「回天」が舞鶴にて大戦中に動員された女子学生達が火薬かぶれに苦しみながら魚雷を生産させられたと伝えられて居ることを知って大いに驚きました。そこで大津島にある記念館を訪れ、全長15mの「回天」中央部には「棺桶」と揶揄された想像以上に狭い操縦室があるのを知ります。 此の空間に身を置いて死んで行くことに対し、理不尽にも抗う術のない儘に国に殉じた青年達の心中は如何ばかりか、と切ない思いが来場者全員の涙を誘ったことでしょう。 私も体調が良く日帰りができるようなら是非大津島を訪れ此の記念館に祀られている若き英霊達の覚悟を大和魂を信念とする老いた私の心に刻み込みたいと思いましたm(__)m。

あさぎり病院その3

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先日に朝霧病院にて4ケ月に一回の「アイリーナ」と呼ばれる眼球注射の日でありました。 アイセンターから朝霧病院に変わってから前2回の眼球注射が年配の大柄な男の先生だったのが、今回は執刀者が異なって居て、昔のアイセンターのときのような若い女医さんによるものでした^^。 私は待つのが嫌いな性分のため,9時の指定であるのを仕事が山積しているので早く帰りたくて8時40分に会場に到着し、待ち構えて居た看護婦さんに予約表を渡して椅子に座ってました。 三々五々注射の被害者たちがやってきて間もなく看護婦さんから呼ばれた人は私ではありません(;;)/。 入場患者は私が一番だったのに眼球注射の順番は何故か6番であり、私より後から来た患者が先になったので疑問を呈しました。 すると、順番は昨夜の午前3時に決まって居ますと意味不明の言葉と共に鼻で笑われ、カッとなって「誰が決めたんや!」と文句を言おうと思いました。 「いやいや、此処で喧嘩をすれば4カ月後の次回が来辛くなるから…辛抱辛抱🤬/」と後一週間で90歳になる雅量を示して己が煮える心を宥め、朝霧駅からタクシー代900円払って一番乗りに固執したチョンボは後悔数多(あまた)でありました(;;)。 そして2日後の診察日の結果は何時もと同じ展開変わらずで「チョボチョボ」だそうで、己のトシを考えれば大満足すべきなんじゃないのかな?と考えました。 次回は来年2月となリますが、寒い時季になることだから己の体の動ける無事が案じられてなりません。

特攻隊予備軍の戦後!

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一雨ごとに冬の訪れを知ることになる今日この頃です。 先月中頃から風邪気味でしたが先生からインフルエンザの予防注射は明日金曜日に…、と先月の訪問時に決められて居り待ち遠しく長い一ヶ月でした。 話はガラリと変わりますが、第二次世界大戦の終戦が間近になり、九州の熊本を基地とした大日本海軍航空隊の芙蓉部隊なる特殊部隊が戦闘機に特攻隊員を乗せて沖縄方面に到着するアメリカ戦艦に体当りする玉砕作戦に徹しました。 予想外の大戦果を上げたためアメリカ海軍はホトホト往生して居ました。 ずっと後になってから分かったことなのですが、アメリカ連合国軍総司令部(GHQ)は終戦後も彼等への恨みを忘れず、終戦となり玉砕作戦に参加する予定だった若者たちは基地から故郷を目指しました。 GHQは姿を消した芙蓉部隊の若者がどうなったか、何処へ帰ったのかその後執念深く調べ上げてリストアップし、彼等が戦後官立学校へ進学や復学を目指していることを突き止めて、学校側に圧力を掛けて断固此れを一人たりとも入学を許さない陰湿な報復方針を貫いたのでありました🤬。 GHQがターゲットにすべき相手は誰が見ても純朴な若者に出撃を命じる上官達であるのに、出撃予定とされた無垢な若い少年たちをターゲットに報復したのでありました🤬/。 戦争が終わって居るのに彼等のしたことはメチャ陰険です。 たった一機の小型機に戦艦を沈められた恨み骨髄での行為ではなかったかと思いましたが、GHQの卑劣な行いは将(まさ)に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」であって最低!🤬/。 前回の読めそうで読めない字  耳を欹(そばだ)てる 意味・・・話して居る内容をコッソリ知ろうと耳を近づけること

シジュウカラの言葉

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今日は目出度いのか目出度くないのか私の満 90歳 の誕生日でありました。 先日、お馴染み朝日放送のTV番組「徹子の部屋」に東京大学准教授で、ベストセラーになった「僕には鳥の言葉がわかる」の著者 鈴木俊貴 先生が出演された際の録画を観ました。 鈴木先生は年中、野山を走り回って我々の身近に棲息している野鳥のシジュウカラの声を聞き、その鳴き声を分析され、彼らの言葉からその意味を解き明かされたことが評価されています。 今年英国の「動物行動研究協会」から最も栄誉ある「國際賞」を授与されたそうです^^。 これは日本人として又はアジア人として初めての栄誉ある受賞だったのです(^0^)/。 動物の会話それもチンパンジーでもない鳥類の会話などあろうなどとは誰も考えもしませんでした。 そこに気付かれた鈴木先生の鋭敏な耳には感心するやら魂消るやら、小型のノーべル賞のようなものを受賞されたのだと私は思いました。 東大の先生って自室で難しい顔をして難しい本ばかり読んで居られるものと思って居ました。 日本中の野山を駆け巡ってシジュウカラの声に耳を欹てられて居られたなんて、いいなあ!微笑ましいなあ^^。 因みにシジュウカラの鳴き声を分析された鈴木先生の解読例を挙げさせて頂ければ、 「ツツピーツツピー」は縄張り宣言 「ヒヒヒ」は空に天敵である鷹を見つけたときの声 「ビビビビビ」は雛が餌をねだるときの声 「ジャージャー」は天敵であるヘビが現れたとき 「ビーツビ」警戒しろよ!と言う意味の声 「ヂヂヂヂ」は集まれ 「ピーツピ:ヂヂヂヂ」は「警戒して集まれ」 だそうです。 鈴木先生は毎日野山でシジュウカラの言葉を聞き、それでちゃんと准教授の給料は頂戴して居られるそうですからメチャ良いなあ^^。 不肖私は60年前も木造だった我が家の南側に庭があり毎朝私の与える残飯やおかずの残りを目的に雀の親子が6匹飛んできて居ました。 その際親鳥がチチチと鳴くと小鳥たちが寄ってきて親鳥の足下にあるおかずの残りを食べて居ましたが、私も論文を書けば良かったのかなあ? 「チチチ」だけではムリやろね(;;)。 今日の読めそうで読めない字  耳を(欹てる)

26年前の殺人!

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今月に入リ日増しに夕暮れの訪れが早くなりましたね。 突如26年前に名古屋市で殺人事件を起こした犯人が自首して、世間を騒がせています。 26年前当時、高羽悟さんの妻・奈美子さんが何者かに殺されたが、実は自首して逮捕された安福久美子容疑者と悟さんと高校の同級生で、好意を伝えられて居たということですが、大学時代に突然訪問をうけて居たことがあったことを思い出したと、明らかにしました。 奈美子さんの夫高羽悟さん曰く 『こんなことされたら困ると僕は言ったんじゃないかと思うけど、喫茶店へ行った折に(安福容疑者が)しくしく泣き出して…」 安福容疑者と奈美子さんは面識がなかったと見られて居り、警察は悟さんに対する安福容疑者の特殊な愛情の執着が犯行の動機に繋がった可能性もあるとみて詳しく調べています。 犯人は当時負傷して現場の玄関に血痕を残していました。 悟さんは血痕を残すために当時住んでいたアパートを、今は住んでいませんが賃借し続けています。 犯行に使われた鋭利な刃物は現場に持ち込まれたと見られて居ますがこれまでに凶器は見つかっておらず、警察は犯行の計画性についても慎重に捜査を進めています。 殺人の15年時効が廃止されてから久しい事件ですが、殺された高羽奈美子さんと犯人に面識がなかったことが事件の解決を難しくして居ました。 犯人の女性は高校生時代に恋する男性に二度チョコレートを送ったのに自分に振り向いてくれない儘に彼が他の女性と結婚したことを知っての逆恨みでの犯行だったようです。女の執念って恐ろしいですね! 何故、自分が殺されねばならなかったのか?無念のうちに息絶えた奈美子さんの心情は察するに余りあります。 男だったら好きな彼女が自分を無視して他の男性と結婚すれば裏切った女性を殺すよね!

褒賞と文化の日

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文化の日とされて居る今日11月3日は三連休の最終日になり、幸い好天に恵まれました。 この日は、明治天皇の生誕日であるため「明治節」として設けられていた祝日であります。 終戦後GHQの申し入れに依って、自由と平和を愛し文化を進める「文化の日」と改称され、各界で功績あった方々が勲一等瑞宝章から黄綬褒章に至るまで様々な名称の勲章が皇居にて天皇陛下から授与される(殆どの人が直接でない)ものでありました。 国の政(まつりごと)に関わった方には勲一等などのの高い位(くらい)が与えられ、民間の方には黄綬褒章等が多いように見受けられ政界と民間ではかなりの温度差が感じられます。勲章を決めるのがお役人だから身内に甘くなるのは仕方がないことでしょうね?。 60年前も前のことですが、私が30歳位の頃、私の父は日本会計士協会の常務理事を長く務めた功績が評価されて勲章で一番下である黄綬褒章を貰うことになって明治生まれだしメチャ喜んで居ました。 母も明治の女であり家から外出することや、知らない人と話をすることなどが何より苦手な人見知りでありました。 母は頑強に皇居行きを抗ったのですが、受賞者は皇居に配偶者同伴が規則であリましたから、致し方もなく、屠所に惹かれる羊の如く父に連れられて皇居に参りました。 写真に写った莞爾と笑う父の傍らで俯いてしょんぼりして居る母の顔は見るに耐えないものでありました(;;)。 4年前の長島茂雄監督に続いて今回王貞治さんも受賞されました。彼は長年の活躍にかかわらず日本に帰化せず中華民国籍です。 過去に文化勲章受章者としても顕彰されて居ますから日本政府って案外心が広いですね。